京都のやさい「京野菜」

たん熊北店代表取締役 栗栖正博氏 京料理とは何か。改めて問われると、意外に答えにくい。そもそも「京料理」という言葉が使われ始めた時期についてさえ、明治以降というぐらいで定かではないのだ。おそらくは人により、京料理の定義は異なるだろう。ただ「言葉がどうであれ、その精神は不変」と語る栗栖正博氏に、京料理と京野菜の関係について伺った。   京料理とは「おもてなしの料理」 京料理とは、平安時代の昔から京都で作り続けられてきた「おもてなしの料理」だと思います。おもてなしだから、作る人は料理のスペシャリストです。平安朝には大膳職と呼ばれる料理人の長にあたる職があり、朝廷でも位の高いお公家さんが務めていました。 元々料理人、膳夫(かしわで)は、貴族の中でも包丁さばきの上手な人が、就く職種だったのです。鳥をさばき、魚をさばくといいますが、千年以上も前の庶民が、捕まえた獲物をわざわざ包丁でさばいたりはしません。そもそも庶民は、包丁など持っていなかったはずです。包丁さばきの技術は時間をかけて洗練されていき、式包丁として今に伝えられています。 朝廷では、大膳職の下でプロの料理人である膳夫たちが、お客さんをもてなす晩餐会の料理を作っていました。これが京料理の原点です。当時の「おもてなし」は、大げさでなく国の先行きを左右するほど重要なもの。万が一、味が悪くて相手の機嫌を損ねたりすれば、内政問題はもとより外交上の諍いにまで発展しかねません。 だから、料理人たちは、技に磨きをかけ、秘伝の技術を弟子に伝えていったのです。ところが、磨き抜かれた技を身につけた料理人が、ある事件を境に無用の存在となってしまいます。 それは明治維新です。明治天皇は、徹底して西洋文化を取り入れました。洋装に洋学、そして洋食です。となると、和の料理を作る職人はいらなくなる。そのため、もてなしの料理の技を身に付けた料理人の多くは、京都に残り料理屋を開きました。これが京料理の起源につながっているのです。   野菜のうまみを引き立てる技 朝廷で料理を任されていた人たちの技術は、極めてレベルの高いものでした。その理由は、京都の土地にあります。 まず、京都は海から遠くはなれています。だから、鮮魚は川魚以外、手に入りません。冷蔵技術のない時代のことです、使える魚は塩干(えんかん)ものに限られる。一塩した鯖やぐじにかれい、あるいは棒鱈やにしん、乾燥させた数の子などを干したものです。このような塩漬けや乾物を、生ものと同じようにおいしく食べるために、さまざまな技が開発されます。 そしてもう一つの主役、野菜と取り合わせるのです。幸い、京都盆地のまわりでは、おいしい野菜が豊富に取れました。といっても、一般の人の野菜の食べ方は、洗って切って丸かじりするぐらいでしょう。それでは、おもてなしの「料理」とはいえません。 野菜のおいしさを、さらに引き出すのには技術が必要なのです。だしを使い、発酵食品を合わせて、煮炊きしたり、和えものにする。そこに、塩干ものの魚介類を付け合わせる。長い時間をかけて洗練されてきた、技を使いこなす料理人だけにできる技であり、これが京料理のルーツです。 料理人に求められる美学 昆布を水につけておいて煮出せば、おいしいだしができます。そのだしに、大根をつけておくと、大根にうまみが乗ります。うまみの増した大根をさっと煮て、味噌と少々の塩で味をつける。だしのうまみに素材の味が合わされば、十分にうまいんです。 僕らは先輩から「白い大根は、白う炊き上げなあかん」と教わりました。料理をする過程で、素材に色をつけるのはよくないということです。そんなことしたら「汚(きたな)なるやないか」と怒られました。 ここには、お公家さんをルーツとする料理人ならではの美意識がうかがえます。京料理では、京野菜の色を変えたらあきません。素材が持つうまみは言うまでもなく、色までも大切にする。それが京料理の美学です。 だから、煮炊きするのにも、しょう油はできるだけ使いません。昆布としいたけのだしを使って、素材のうまみを十分に引き出して、最後にほんの少しだけ薄口しょうゆを加える。そこに塩を、ちょこっと入れる。これで「うわ~うまっ」となるんです。お酒にぴったり合います。   土地の恵みを活かした京野菜 京野菜にもいろいろありますが、太閤秀吉さんが京都に来られてから種類が増えたといわれています。例えば、聖護院のあたりに、愛知地方から持ってきた大根を植えたら、土地が肥沃だから、ごっつくてごろんと丸い大根が育ちました。これが聖護院大根です。 古代の京都盆地は湖だったので、湖底にはさまざまな栄養分がたまっています。だから京都の土地は肥えているのです。近郊には巨椋池のように巨大な池があるなど、水にも恵まれていました。1941(昭和16)年に埋め立てられるまでの巨椋池では、おいしいじゅんさいがたくさん採れたのです。 秀吉さんは農家の出身でしたから、どこで何を作ればよいかが、よくわかっていたのでしょう。水菜も壬生のあたりで作ったら、特別に甘くておいしいのができた。だから、これは壬生菜(みぶな)と呼ばれます。 京都は千年の間、日本の都でしたから、全国から多種多様な食材が入ってきました。北海道で取れた昆布は、北前船で敦賀に運ばれ、そこから陸路と琵琶湖を経由して京都に持ち込まれたのです。若狭湾の魚は一塩して、鯖街道で運ばれます。小浜から京都まで約100キロ、気温の低い夜中に一晩かけて運び、朝には京都に着きました。 そうして得られた食材を、もてなしの料理に昇華させたものが、今に続く京料理なのです。   守り続ける心、挑み続ける技 私の店、たん熊北店は、1928(昭和3)年に、祖父の栗栖熊三郎が創業しました。今と同じ場所、カウンター7席だけの割烹でスタートしました。 祖父は丹波の山奥の出身です。実家は炭焼きを営んでいましたが、三男坊だったために早くから家を出たそうです。最初は保津川下りで筏を操る船頭の丁稚になり、次は嵐山の料理旅館に野菜を運ぶ八百屋の丁稚になりました。 最後にたどり着いたのが、料理人の丁稚です。その料亭「たん栄」で修行を積み、やがて独立。店の名前は、修行した「たん栄」から「たん」の二文字をいただき、熊三郎の「熊」を付けました。 熊三郎の時代から「たん熊」が何より大切にしているのは、おもてなしの心です。そのために、守るべき伝統、例えば地下から汲み上げる井戸水、利尻の昆布と枕崎の本枯鰹節でとるだしは、絶対に変えません。 だからといって、新しいことに挑戦しないわけではない。革新的な技術で試してみる価値のあるものは、積極的に取り入れています。そして、来ていただいたお客様だけでなく、その時に手に入った素材とも一期一会の精神で接する。一瞬たりとも気を抜かない。 それが、京料理の料理人の矜持なんです。   たん熊北店本店 概要 たん熊北店本店 京都市中京区西木屋町四条上ル紙屋町355 tel 075-221-6990 正午〜午後2時 午後5時〜午後10時 不定休 要予約 駐車場無し 昼 3,500円〜10,000円 夜 15,000円〜25,000円 http://www.tankumakita.jp/ ...

「惚け茄子」と書いて「ぼけなす」と読む。大きくなりすぎて、艶もなく、水っぽくておいしくないなすを意味する。これに対して『賀茂なす』は、その正反対である。人に例えるなら、お公家様のような存在とでもいえばいいだろうか。その丸みを帯びた優雅な形、高貴さを象徴する深い紫色の艶やかさ、そして噛みしめるほどに深みを増す味わい。すべては、作り手が愛情を注ぎ、丹精込めてきめ細かく世話をした結果である。   江戸時代の記録に残る優れもの 「雍州府志(ようしゅうふし)」と呼ばれる地誌がある。1648(正保5/慶安元)年、江戸時代初期に刊行されたこの書には、山城国の様子が全10巻に渡って記されている。その中の「雑菜部」に、次のような一節がある。 「處々種之 或有紫茄黄茄白茄子之異 然紫色者為佳形状也 或有細長者 民間称長茄 然風味不及圓大者 洛東河原之産為殊絶」 大まかに訳せば、「山城の国では、あちらこちらになすを植えていて、紫なす、黄なす、白ナスがある。紫色が良く、形については細長いものもあるが、風味は丸くて大きいものには及ばない。洛東の河原(現在の今出川から三条あたりまで鴨川の東)で作られたものが最高である」となる。 丸くて大きいなすといえば、まさに『賀茂なす』。おそらくは、これがそのルーツと推測される。つまり今の左京区あたりで栽培されていたなすが、後に上賀茂や西賀茂で盛んに栽培されるようになった。そして明治時代には、既に『賀茂なす』と呼ばれていたようだ。 そのルーツを品種名から探ると、どうなるか。品種名は「大芹川」であり、芹川という地名は京都に2カ所存在する。1つは嵐山の芹川だが、ここに『賀茂なす』の祖と考えられるなすは存在しない。もう1つは、伏見区下鳥羽芹川であり、この地ではかつて、竹田なすと呼ばれた、丸いなすが栽培されていた。従って、おそらくはこのあたりが発祥の地と思われる。 由緒正しい『賀茂なす』は、1989(平成元)年に『京のブランド産品』としての認証を受けている。   まあるくて、ずっしり重くて、おいしくて なすの歴史は古く、日本では1000年以上前から栽培されている。現在は、約180の品種があり、形や大きさもさまざま。その中でも「なすの女王」と称されるのが『賀茂なす』だ。 では、どこが、他のなすと違うのだろうか。まずは見ためである。一般的ななすが細長い形をしているのに対して、『賀茂なす』はほぼ正円形をしており、直径は8〜10センチ程度。肉質がしまっているため、手に取るとずっしりとした重みを感じる。重さは1個がだいたい260〜300グラムである。色は濃い紫で、つやつやと光っている。見て美しいものは、食べてもおいしいのだ。 ぎゅっとしまった肉は、しっかりとしていながらも、決して硬くはなく、とてもなめらかでとろんとした感じ。独特の個性あるうまみを秘めているため、京料理の懐石でも、決して脇役ではなくメインの一品として扱われる。 特に油との相性の良いのが『賀茂なす』の特長だ。油をたっぷりと使っても、その油を吸い過ぎることがない。だから果肉はシャキッと歯ごたえ良く、油に引き立てられた実のうまさとかぐわしい香りを存分に味わうことができる。まさに「なすの女王」と呼ぶにふさわしい味わいである。   手をかければかけるほど良く育つ なすは、ハウスで栽培されることも多いが、亀岡の『賀茂なす』は露地栽培である。畑の土質は田んぼに近いものがよい。 『賀茂なす』は、同じ場所で栽培を続けると、土壌伝染性の病害が発生しやすくなる。これを防ぐために一度『賀茂なす』を作った耕作地は、次の2〜3年間ほどの間は水田として米作りをする。稲と『賀茂なす』は、水やりの方法が似ているのだ。こうして病気を減らすだけでなく、稲が土中の栄養分を吸収することにより、肥料の管理もしやすくなる。 水の入れ方は、土のうでいったんせき止めて一筋ずつ水を入れていく。水を入れる時間は、夕方の涼しい時間帯と決まっている。日中の暑い間に入れると、水がすぐに温まってしまい根を痛めるからだ。 害虫対策と風よけ対策として使われているのが、とうもろこしの一種ハイグレンソルゴー。これはカメムシやてんとう虫を呼び寄せる効果があり、それらの虫が害虫のアブラムシやダニなどを食べてくれる。 一方、霜対策や水の蒸発を防ぐことも重要で、4月ぐらいまでは黒いシートで土を覆い、熱を集めて温める。それ以降は、銀色のシートに張り替えて、水の蒸発を防ぐ。 なんとも手間ひまかかるのが『賀茂なす』だが、手をかければかけたぶんだけ、確実に良い実が育つのだ。   「子どもと思って慈しむ」松岡信次さん 『賀茂なす』は現在、京都の生産量の約6割が亀岡で作られている。その生産を担っているのがJA京都 京野菜部会 亀岡支部 賀茂なす部会である。部会長の松岡信次氏は「11年ほど前から、夏に賀茂なすを扱うようになりました。最初は150本ぐらいから始めて、今では200本ほどになりました」と経緯を語る。 『賀茂なす』は、別名「水喰いの肥料喰い」とも呼ばれる。それほど水の管理に気を使い、肥料もたっぷりと与えなければならない。 「特に水には注意します。毎日入れるのはもちろんですが、排水のタイミングを間違うだけで、つやが失われたりします。光と風を十分に当ててやるためには、毎日、剪定しなければなりません。枝を伸ばしすぎると、なすに栄養が行き渡らなくなるのです。しかも、賀茂なすは鋭いトゲがあるため、風が吹くと自分で自分の実を傷つけてしまうことがある。そうならないように、毎日、じっくり畑を見て回ります」 『賀茂なす』は、「三へた」と呼ばれるように、へたが3つに分かれて三角形になっているものが最上とされる。このへたの先には、鋭いトゲがついているので、扱いには注意が必要なのだ。 これほどまでにていねいに、時間をかけて世話をしているため、『賀茂なす』のシーズンは、これだけにかかりきりになるという。実に手のかかる作物だが、実は、そこが生産者をひきつける魅力でもあるそうだ。 「要するに子どもを育てているようなものです。愛情をたっぷりと注ぎ、すくすくと育つように、可能な限り環境を整えてあげる。バランスを量りながら、毎日、畑で一つひとつに心のなかで語りかけるのです。良い子にそだってくれよと」 生き物を育てるために、何より必要なのは愛情。当たり前のことを、当たり前にきちんとすることで、京料理の主役ともなる『賀茂なす』はすくすくと育つのだ。...

とうがらしを漢字で書くと「唐辛子」。その意味は「唐(中国ではなく、外国を意味する)」から伝わった「辛子(からいもの)」。要するにとうがらしとは、基本的に辛い食べ物である。真っ赤なとうがらし、例えば鷹の爪などは、見た目からしていかにもピリピリしていそうだが、実は一般的に辛味の強いのは、普通のとうがらしの方だ。ところが、世の中には、辛味を『完璧にゼロ』に抑えたとうがらしがある。その名を『万願寺甘とう』という。   『万願寺甘とう』、そのルーツは? 『万願寺甘とう』とは、京都府舞鶴市内と隣接する限られた地域の特定の農家で栽培されたとうがらしを示すことば。「万願寺とうがらし」をキーワードに検索すると約52万件ヒットするが、その多くが『万願寺甘とう』とはまったくの別物、中には宮崎県産などが含まれていたりする。 逆に『万願寺甘とう』で検索すると、ヒット数は3万9千件にまで絞り込まれる。なぜならこのブランド名を名乗れるのは、京のブランド産品認証を受けたものだけに限られるからだ。 『万願寺甘とう』の祖先は、今から約100年前に、舞鶴市万願寺地区で誕生した。その特徴から「伏見とうがらし」と外国が原産の大きなとうがらしの交雑によって生まれたものがルーツと推測される。たまたまこの地にできたとうがらしが、おいしいと評判を呼び、地区の農家約30戸が毎年栽培し続けるようになった。 その後、地元で「万願寺とうがらし」の名前で細々と栽培されていた品種に、一大転機が訪れる。1983(昭和58)年、京都府が当時の舞鶴中筋農協に、野菜のブランド化を打診したのだ。これを受けて「万願寺とうがらし」は『万願寺甘とう』となり、農協内に甘とう部会が立ち上げられた。この部会で栽培や出荷のルール作り、共同選果の仕組みや品質の基準作りなどが行われ、本格的な生産と出荷が始まる。 『万願寺甘とう』は、提供当初から高い評価を得て、売れ行きも順調、品不足となるほどだった。京都府が狙ったブランド化は見事に成功し、1989(平成元)年、京のふるさと産品協会より『京のブランド産品』第一号の認証を受ける。だから、他の産地が「万願寺とうがらし」を名乗ることはぎりぎり許されるとしても、『万願寺甘とう』を名乗ることはできないのだ。   大きくて、真っ直ぐで、おいしくて 『万願寺甘とう』と、他のとうがらしを比べてみれば、違いはまさに一目瞭然、そもそもの見た目がまったく異なる。何より、まず大きい。選果場で長さにより「秀品」「優品」「良品」の3ランクに分類され、エボ(枝とつながっている部分)を含まない長さが、最低でも10センチ以上ないと出荷されない。 最高ランクの「秀品」は、長さ13センチから23センチまでで、曲がりのないものと定められている。だから、仮に長さで基準を満たしていても、曲がっているものは「秀品」ではなく「優品」となる。選別作業を担う『舞鶴万願寺甘とう部会』では、人手により手間ひまかけ、一切の妥協は許されない。「京のブランド産品」としての出荷が許されるのは「秀品」だけ。大きくて、真っ直ぐなものだけが、ブランド品として認められた『万願寺甘とう』なのだ。 外見の特徴は、他にもある。大きいながらも、肉厚であること。色は鮮やかな濃緑色で艶に満ちている。肉がしっかり詰まっているから実に張りがある。機会があれば、ぜひ他のとうがらしと比べてみてほしい。 そして、肝心の味である。大型で肉厚とはいえタネが少なく食べやすい。果実はとても柔らかでジューシー、甘みにくわえて独特の風味が味の良さを醸し出す。もちろん『万願寺甘とう』である限り、辛味は一切ない。   科学の力で辛味を完ぺきに制御する ここで植物に詳しい人なら、疑問を持たれるかもしれない。とうがらしは基本的に、風が花粉を運ぶことで受粉する風媒花である。とはいえ、虫が花粉を運ぶことによる他家受粉も起こり得る。そんな中で、どうやって『万願寺甘とう』は、辛味ゼロの純粋さを維持しているのかと。 その秘密は、科学の力にある。『万願寺甘とう』は固定種として、地元で大切に育てられてきた。それをさらに、京都府農林センターが品種改良を進めて、2007(平成19)年に『京都万願寺1号』が品種登録される。 ただし、この段階では、まだ辛味を持つ果実の発生率が3~6%程度残った。これでは100%完全に辛味を抑えたとはいえない。そこでさらに研究を重ねた結果、2012(平成24)年に導入されたのが『京都万願寺2号』である。これは遺伝子マーカーを使い、辛味遺伝子を完璧に取り除いたもの。つまり、この品種に限っては、辛味の発生が原理的にありえないのだ。   「100年続く産地を作る」添田潤さん 科学の力により『万願寺甘とう』は、飛躍的に品質が高まった。とはいえ、品種改良されたタネをまいて、放っておけば実がなるわけではない。ブランド品として認められた『万願寺甘とう』が出荷されるまでには、作り手の地道でひたむきな努力が積み重ねられている。 「何に一番苦労するかといえば、木のテンションを保つことです」と、JA京都にのくに 舞鶴万願寺甘とう部会で部会長を務める添田潤氏は語る。木のテンションとは、独特の表現だが、わかりやすくいえば木の元気である。 「京都万願寺2号は、形質的にくびれを残しているので曲がりやすいのです。曲がってしまうと秀品とはなりません。だから、木のテンションを良くして、収穫時期にも細心の注意を払っています」と語る添田氏が強調するのは、土作りをはじめとする生産時に必要な条件である。 土作りで何より大切なのが排水性である。土作りに関しては、ふかふかの土を求めて、部会に参加する生産者がそれぞれに工夫をこらしている。 「部会には今、約420人の生産者がいます。だから、毎年420の事例が共有される。その中の成功事例を次の年に取り入れる。さらに、一人ひとりが工夫を重ねる。そうやってブラッシュアップしていくので、毎年、品質は高まり、収量も増えていきます」 これも『万願寺甘とう』最大の強みである。生産者が一致団結し、ルールを守りながら、少しずつ工夫を重ねる。成功事例はもちろん、失敗事例も共有することで、より良い産品づくりに全生産者が協力して取り組む。 「僕らは、この万願寺甘とうでめしを食い、子どもを育てていく。そう決めています。そのためにも、ここを100年続く産地にする。それが僕らの誓いです」 奇跡とは、偶然に任せて起こるものではない。人のひたむきな努力が、積み重ねられた結果として起こるのだ。...

京マークをご存知でしょうか。「京都」の文字に、京都の頭文字「K」を形どったデザインのマークです。マークの右側に描かれた3つの楕円は「農」「林」「水産」の豊かな実りを表し、3本のラインは「大地」「水」「太陽」を表現しています。このマークを付けることのできるのは、「京のブランド産品」として認定されたものだけ、まさに「おいしさと信頼の目印」です。   京野菜の優れもの「京のブランド産品」 京野菜とは名前の通り、京都で生産される野菜全般の総称です。平安京の時代から明治維新まで、京都には都が置かれ日本の中心として栄えていました。宮中に献上するため、京都近辺ではさまざまな野菜が作られます。 盆地特有の気候風土と肥沃な土壌、豊富な水を活かして育まれた京野菜は、年数を重ねて品種改良が進められてきました。その中でも今に伝わるのが「京の伝統野菜」です。残念ながら郡大根と東寺蕪の2品目は絶滅しましたが、現存するものが35品目あります。。また、京の伝統野菜に準じるものとして、鷹ヶ峰とうがらし、花菜、万願寺とうがらし(万願寺甘とう)の3品目があります。   京の伝統野菜とブランド産品の関係図   「京の伝統野菜」とは、次の5つの条件を満たすものです。 1)明治以前に導入されたもの 2)京都府内全域が対象 3)たけのこを含む 4)キノコ、シダを除く 5)栽培または保存されているもの及び絶滅した品種を含む この中に含まれるのは、必ずしも京都固有の品種ばかりではありません。例えば、京都特有の栽培方法をとる野菜、例えば堀川ごぼう、えびいも、京ウド、京ミョウガ、京たけのこなどです。 その中から、比較的量産が可能で、市場対応できる野菜が「京のブランド産品」として指定されました。これは、安心・安全と環境に配慮した「京都こだわり生産認証システム(※)」により生産された、京都産農林水産物の中から、品質・規格・生産地を厳選し、(公社)京のふるさと産品協会が認証したもの。具体的には、下記の条件を満たすものです。 1)イメージが京都らしい 2)1)以外のもので販売拡大を図る必要がある 3)次の要件を備えている ・出荷単位としての適正な量を確保 ・品質、規格を統一 ・他産地に対する優位性、独自性の要素がある   ※京都こだわり生産認証システムの特徴 ・農薬・化学肥料の使用を減らした環境にやさしい農法(京都こだわり栽培指針) ・認証検査員による栽培状況と記帳のチェックを実施 ・情報の開示により生産者の顔が見える農産物 ・水産物については同等の検査を受けています。   「京のブランド産品」、30年の歴史 「京のブランド産品」の歴史は、今から約30年前に始まりました。その原点は、1988(平成元)年に京都府によってまとめられた「京都府内農林水産物のブランド確立に関する基本指針」にあります。この指針に基づき、高品質、高級品イメージのある京都産品を、東京の高級百貨店に売り出していきました。 1988(平成元)年度、「京のブランド産品」第一号認定となったのが、万願寺甘とうです。同年度には他に、みず菜、賀茂なす、伏見とうがらし、えびいも、丹波大納言小豆、新丹波黒がブランド認定されています。 その結果、2008(平成10)年頃には、全国で「京野菜ブーム」「伝統野菜ブーム」を巻き起こしました。   京のブランド産品認定品一覧 ■平成元年度 みず菜 賀茂なす 伏見とうがらし 万願寺甘とう えびいも 丹波大納言小豆 新丹波黒   ■平成2年度 九条ねぎ 花菜 京たけのこ 鹿ヶ谷かぼちゃ 堀川ごぼう 聖護院だいこん 丹波くり   ■平成3年度 壬生菜 金時にんじん くわい   ■平成5年度 やまのいも   ■平成8年度 紫ずきん   ■平成10年度 京山科なす   ■平成11年度 京たんご梨   ■平成19年度 京こかぶ 聖護院かぶ   ■平成20年度 丹後とり貝   ■平成23年度 京 夏ずきん 丹後ぐじ   ■平成24年度 祝(酒米)・京の酒   ■平成26年度 京丹波大黒本しめじ   ■平成27年度 京山科なす京漬物 京たんごメロン   「京のブランド産品」が支持される理由 「京のブランド産品」がスタートして、約30年になります。この間、京野菜が全国から注目され、支持され続けてきたのには、大きく3つの理由があります。 第1には、ブランド対策を基軸を明らかにして、ぶれなかったこと。具体的には、ブランド品目を認証し、ブランド産地と生産者を認証し(3年毎に見直します)、栽培方法を指定し、生産物の検査体制までを確立しています。このように定められた体制の中で生産された中でも「秀品」だけが、「京マーク」を付けて販売できるのです。これを支えているのが「京都こだわり農法」、有機質肥料などによる健康的な土づくりや輪作体系を基本とする京都の伝統的な栽培方法に、最新の技術を組み合わせたものです。 第2には、ブランド品の検査体制を整えて実践してきたこと。「京都こだわり生産認証検査員」が府内に配置され、品目ごとに指定された「京都こだわり農法」に基いて生産されたかどうかをチェックしています。検査総数は、毎年4000件を超えています。 第3には、ブランド産品のストーリー性や食文化を大事にしてきたことです。「京のブランド産品」のストーリー性を重視し、野菜の来歴や食文化の啓蒙に力を入れてきました。2006(平成18)年には、京野菜の伝道師として「京野菜マイスター」を認定し、その活動を支援しています。「京野菜マイスター」は、京野菜の生産、流通・販売、料理の各部門で合計21名います。さらに2007(平成19)年からは、京野菜の魅力を楽しく学び、知的好奇心を刺激する「京野菜検定」も実施しています。 公益社団法人京のふるさと産品協会は、こうした「京のブランド産品」の生産、販売拡大を支援しています。 ...